父そして社長。仕事を意識し始めた子供の頃の記憶

  

こんにちは。パワフルスマイル中田です。

中田は社長である父が大好きなことで
有名?ですが

 

父の日には長野に帰れなかったので
先週の内に手渡ししました^^

送るのもいいのですが
手渡しに意味があるのです^^

感謝の気持ちを伝える日でもある父の日、
贈ったり贈られたり素敵な日でしたか?

 

父の日が過ぎ、昨日は社長と一緒に

東京でクライアント様へ一緒に伺たんです。

歩いていて背中を見ている時に

 

ふと、いつからお父さんの仕事を意識し始めたんだろう。
と思いました。

 

ああ、あれだ。。。。

 

小学生のころの記憶って鮮明に覚えていることと
覚えていないことにわかれますが

父は私が生まれてすぐに、

このパワフル健康食品を創立
9人家族を養って行く為に。。。。。と
ものすごく寝る間も惜しんで
常に研究し、
仕事のことを考えていたのだと思います。

私の10代後半まで霊芝の研究をしながらも
出荷という形では生の椎茸栽培をしていたので
土日も関係なく父も母も工場にいた記憶があります。

もちろん、長い夏休みなんてなくて。

中々一緒に夕食時間を過ごせず
あとから帰ってきた父が
私の話も聞きながらだったり野球をみながらご飯を食べていた時代。

 

小学3年生の私は

近所や同級生の友達が
夏休みに色んなところに連れて行ってもらっていて
すごく羨ましかったんだと思います。

 

たまたま一緒に夕食を食べれていた時に
私が発した言葉。

 

「なんで私は連れてってもらえないの?
 なんでうちは旅行に出かけないの?」

 

この時、普段怒らない父が
ご飯を食べながらも
すごく切なさを堪えながら怒ったんです。。。。

そのあとすぐに母が父をフォローするように

「こうやって生活するためには仕事しなきゃいけないし
お前たちの為にお父さん頑張っているんだよ?
そんなこというもんじゃない。」

と。

ふぅ。
今でも文字にするだけで申し訳なさに涙が溢れてきます。

学校を卒業して会社に入り
本当の仕事を目の当たりにしたときから
このことを思い出すと胸が張り詰めます。

 

今ではすごく後悔してますが
どれだけの想いが父と母にあったのかわかったし
一瞬でも苦しませてしまった自分に反省した出来事。

家族を、生活を守らなければならない父、
今思えば祖父が亡くなったり仕事面でもすごく辛かった時期も重なっていたと思うんです。

 

私たちとも遊びたかったと思う。
色んなところ連れて行きたかったと思う。
軌道に乗るまでは・・・・・
って想いがすごくあったと思うんです。

いま、私は一緒に仕事させてもらって
研究や開発、どれだけ難しいことを父はゼロからスタートして
家族を私を守っていてくれていたのか身に染みています。

 

もちろん、今も守ってもらっています。

この出来事が
仕事ってなんだろ?
父や母の想いって何だろう?
と知ったきっかけの一歩だったと思います。

 

父が家族の大反対を押し切って起業し
健康に特化した健康食品を作りたいという想いを形にし
その健康食品によって
私の体は健康体になり社長も現役バリバリ元気で
本当に尊敬なんです!
大好きって気持ちは尊敬からもきているのだろうな^^

あ、ノロケになっちゃいましたね(笑)

なかなか出来事を文章にするってないけれど
こういうエピソードがうちにはあるんだよーってこと
中田に教えてくださいませ^^

一緒に親子溺愛トークしましょう♪

 

 -親子エピソード, ,

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